卒業生対談 2023
古田 敬郷さん/TBSアナウンサー
関西学院高等部 2018年卒業
関西学院大学 社会学部 2022年卒業
高校、大学時代は野球部に所属
ボクシングプロライセンスを保有。
吉岡 恵麻さん
関西学院高等部 2021年卒業
関西学院大学 社会学部 3年生(在学中)
ミス日本2023 グランプリ
現在はアナウンサーを目指し、就職活動中。
吉岡
本日は憧れの古田さんにお話を伺えるとのことで、楽しみにしていました。関西学院での生活、学びに関してお伺いできればと思っています。
よろしくお願いいたします!
古田
こちらこそ、よろしくお願いいたします!
吉岡
早速ですが、関西学院高等部に入りたいと思った理由を教えてください。
古田
高等部の野球部でプレーしたいと思い、関西学院への進学を決意しました。中学校時代も野球をしていて、高校でも本気でプレーしたいという思いがありました。ただ、勉強をおろそかにしたくはなかった。そのため、文武両道で甲子園を目指すことができる関西学院を選びました。
吉岡
学業とクラブ活動の両立は大変ですよね。両立するうえで、意識されていたことはありましたか?
古田
確かに学業と野球部の両立は大変でした。朝練習もありましたし、授業が終わってからも厳しい練習の日々でした。ただ、成績を取れないと補習にかかってしまうので、集中して授業を受けていましたね。また家が遠かったので、その時間も有効活用していました。
吉岡
具体的にはどんなことをしていたのですか。
古田
高等部は小テストが多いんです(笑) なので、英単語を覚えたり、数学の復習をしたりしていました。補習にかかると練習に出られなくなってしまうので、とにかく必死でした(笑)
吉岡
確かに小テストは多かったですね(笑) 本当に文武両道をされていたんですね。
そんな中で、一番つらかったことはありますか?
古田
3年間レギュラーになれなかったことです。母が早朝からお弁当を作ってくれ、父は私が出場しない試合でも必ず応援に来てくれましたが、結果で恩返し出来なかったことが心苦しかったです。ただ、大学に入ると高校時代の悔しさが原動力になりました。
高等部グラウンドのマウンドにて久しぶりの投球
レギュラーには定着できなかったが、古田さんを成長させてくれた思い出の場所だという。
吉岡
高校、大学と忙しい日々の中で、将来の夢を持つきっかけはありましたか。
古田
アナウンサーになりたいと思ったのは大学2年生の時でした。大学の野球部でもレギュラーにはなれず、将来をどうしようかと考えていたときに、ふと祖母から「就職活動に向けて話し方講座に行った方がいい」とアドバイスを受けて(笑) 気が付けばアナウンススクールに通っていました。そこから、真剣にアナウンサーを目指す挑戦が始まりました。
吉岡
その行動力がすごいですね。関西学院では、何か挑戦し続けたことはありますか?
古田
やっぱり野球ですね。関西学院で過ごした7年間のうち、6年間は野球をしていました。
吉岡
長く情熱を注いでこられたんですね。野球に集中できたのは、高等部から大学への推薦制度があったことも大きかったですか。
古田
大きかったです。受験勉強を気にしなくていい分、3年生の夏まで全力で野球に打ち込むことが出来ました。あの時、関西学院の文武両道を目指せる自由な校風を強く感じました。
吉岡
そうですよね。私も18年間テニスをやってきましたが、大学受験があると出来なかったと思うので、そこは非常に魅力でした。
吉岡
関西学院高等部での一番の思い出を教えてください。
古田
やはり野球部での日々ですね。私を含め、レギュラーになれなかったチームメートがたくさんいました。そんな中、みんなで励ましあいながら切磋琢磨したことが思い出に残っています。当時の部員120人中、スタートメンバーはたった9人だけ。厳しい環境の中でも、みんなで励ましあっていました。あとは、修学旅行や文化祭が思い出に残っています。
吉岡
文化祭、楽しかったですよね!私もダンスを披露しました(笑) 先生にダンスの場を作ってほしいと依頼したら、披露する場を作ってくれて。自分から行動したら、応えてくれるのが関西学院だなと感じました。
古田
私も文化祭は思い出に残っています。大変でしたが、自分達でいろいろなことを自由に考えて決められたので、とても楽しかったです!
吉岡
関西学院高等部の校風である、自由・自治を感じる瞬間はありましたか?
古田
受験勉強がないからこそ、野球に全力で打ち込むことが出来ました。勉強は必要でしたが、自分自身で野球と勉強にかける時間を割り振ることが出来ました。
吉岡
たしかに。関学には、何か目的をもって行動している学生が多いなと思います。友人でも高校生から弁護士を目指している人がいて。高校2年生には行政書士の資格を取得していました。そんな姿を見て、私も刺激をもらっていました。
吉岡
古田さんも何か関西学院で目的を持って行動を起こしたことはありましたか?
古田
高校時代は野球一筋でしたが、大学からはアナウンサーになるのが大きな目標で、日々頑張っていました。大学3年生の時に内定を頂いた後は、就職まで時間があったので、新しい挑戦をしようと思いました。TBSは年末にボクシング中継があるので、「その中継に関わりたい」という目標が出来て、大学3年生の9月からボクシングに挑戦しました。
吉岡
そこからだったんですね。実は古田さんのことを調べる中で、ボクシングのプロライセンスをお持ちなのを知りました。
古田
そうなんです。何か自分の強みが欲しくて。そんな時に、野球ではない個人競技かつ、TBSで中継をしているボクシングに焦点を当てました。
吉岡
思ったらすぐに行動、実行されるんですね!
古田
最初は周りからたくさん反対されました(笑) プロが集うボクシングジムにいきなり野球少年が来ても、当然門前払いされてしまいます。いくつか渡り歩くも、断られ続けました。ただ、諦めずに行動することで、ついに受け入れてくれるジムに出会えました。自分で行動したことが今につながっています。思い切って挑戦したからこそ、今の自分があると思います。
吉岡
すごいですね!少し話が戻りますが、高等部生にはどんな人が多いと思いますか。
古田
人の為に頑張れる人が多いと思います。
野球部では、成績を取らないと練習に出られないので、勉強でどうしてもわからないところを野球部のチームメートが時間を割いて教えてくれました。その代わり、私は練習時に人一倍仲間に声をかけたり鼓舞したりして恩返ししていました。みんなが助け合う、優しい生徒が多いイメージです。
吉岡
そうですよね。私も、実は近々プロ野球の始球式を行う機会をいただいたのですが、投球のコツがわからなくて。どうしようかなと思ったときに、かつての野球部の友人がたくさん助けてくれたので、「思いやり」の心を持っている子がすごく多いなと改めて感じました。
古田
私も他のクラブの友人にたくさん助けてもらいました。他のクラブとのつながりが強いのも関学の魅力ですよね。
吉岡
私は関西学院の強みとして、関学OB・OGのつながりが強いなと感じています。現在、ミス日本として各地で活動しているのですが、たくさんの関学関係者が助けてくれています。
古田
そうですよね。母校愛が強い人が多いなと感じています。私は就活時、関学OBでフリーアナウンサーの方にダメ元で連絡をしたら、返事が返ってきてたくさんサポートしてもらいました。その人のおかげで今があるので、今まで全く繋がっていなかった人たちが関学を通して繋がるのは強みですよね。
吉岡
アナウンサーの仕事に、関学での学びが生きていると感じることはありますか?
古田
今、人の為に働いていることです。『Mastery for Service』。照れくさいですけど(笑)
ニュースを伝えるときや、インタビューの際も、視聴者やインタビューさせて頂く人のことをどれだけ思って向き合えるかという精神が、今の仕事に生きているなと感じています。
吉岡
では、今まさに関学で学んできたことが仕事に生かされているんですね。
古田
まさにです!関学で良かったなと心から感じています。
入社2年目のアナウンサーとして活躍されている古田さん
吉岡
では最後に、古田さんにとって関西学院とは。
古田
挑戦をするきっかけとなった場所です。
高校3年間、野球部のマウンドに上がることを信じてやってきました。レギュラーにはなれませんでしたが、より競争の激しい大学野球部へ挑戦しました。そこでもレギュラーにはなれず、そこから違う道に切り替えて挑戦しました。
関西学院で挑戦を続けたからこそ、アナウンサーを目指すという挑戦も出来ました。そして、内定を頂いてからも、ボクシングのプロライセンスに挑戦することが出来ました。それもすべて、自由な校風があったからだと思います。
そんな挑戦する自分を作ってくれたのが、関西学院です。
吉岡
今日は素敵なお話、ありがとうございました。挑戦することの大切さを学びました。私も関西学院の自由な校風を生かし、今後もいろいろなことに挑戦して、視野を広げていきたいなと思います。本日はありがとうございました。